Urbanus2のブログ

個人的な趣味全開のブログであるため、読む人をかなり選ぶことでしょう。その辺をご理解いただいた上で拝読していただければ恐悦至極です。

「なんで3年間も勉強放置してたんじゃコラ」に対する言い訳

 僕は以前のブログ(院試に落ちた話のやつ)で「勉強を3年間も放置してた」と書いた。これは具体的に言うと、自分の専修が決まった学部2年から院への進学を決めた学部5年まで、ほとんど勉強をしてこなかったということである。
 なぜ勉強しなかったのか。その理由を一言で言うならば、「勉強不足ゆえに勉強する理由が分からなかったから」ということになる。こう書くと「つまりどういうことだってばよ」となるが、以下でこのことを書いていく。

 はじめにも書いたが、僕は2年次からほとんど勉強をしてこなかった。別に勉強が嫌だったわけではない。むしろ好きだったし、今でも好きである。勉強に限らず、知らなかったことを知ったり、出来なかったことができるようになるのが、僕は好きである。それは部活やバイトでも当てはまる。中でも勉強は知らないことがよく見つかるし、同時に知ることも多い。その中で自分の中に起こる驚きや達成感が僕は好きなのだ。
 (僕はたまにストイックだと言われることがある。それは僕のこうした、何かに取り組む際の態度によるものだと思う。ラクにやれるのなら、もちろんラクをしたい。しかしそれでは僕は変われないのだから、意識するしないに関わらずストイックになってしまうのは、ある意味仕方のないことではある。)

 僕は勉強が嫌いではない。講義概要は毎年見ていたし、自分の専門はもちろん、気になる授業があれば他分野でも講義内容の詳細はチェックし、出席していた。
 しかし、当時(そして今でも)興味を惹かれる授業はほとんどなかった。僕がやりたいことと各講義の目標・目的が違いすぎたからだ。毎年毎セメスター探してみても、僕の興味関心と関わりの深い講義がほとんどない。大学の講義は高校までの授業とは違って、それぞれの先生方の専門や興味関心と関わりの深い内容になりがちである。そのためこうした学生と先生たちの関心のすれ違いは、仕方のないことだと思っている。
 今だからこそある程度言葉にできるが、僕の中の疑問は、これまでの道徳哲学が前提にしていた「価値の一元性」にある。そしてこうした疑問に関わりの深い研究は歴史が深いようで浅く、蓄積もあまりない。ソクラテスに端を発する「多様な善さの承認」は、古代ギリシャでは隆盛を誇っていた。しかし中世・近代・近現代と時代を経るにつれ、そうした考え方は廃れ、時代遅れのものと見做されるようになった。そうした思想の潮流を経た上で、1970年代頃から「これまでの道徳哲学が蔑ろにしてきたものは、実は結構大事なものだったんじゃないか?」と再び取り上げられるようになった。他の倫理学理論には3,400年ほどの歴史があり、また活発に議論されることで体系化されてきた経緯を考えると、この数100年の差は大きい。
 そのため講義で取り上げられる機会もほとんどなかった。記憶にある中では、研究室が決まってからの5年間で1回、僕が気づいていなかっただけだとしても、片手で数えられる回数だろう。研究にしろ勉強にしろ(極言すれば何事であっても)、自主的に取り組むことが重要なのは分かる。しかし、言い訳になるが、自分で勉強しようにもそのための最初の取っ掛かりが、当時の僕にはなかったのである。
 ついでなので、僕が留年した理由にもここで触れておく。単位が足りなかった、というのは確かにある。しかしそれ以上にこの「やりたい事のなさ、不明確さ」が主な原因だった。事実、僕はなんだかんだあって2〜4年生で大学に通う事自体少なくなってはいたが、単位だけは取っていた。なので4年次に卒論提出までこぎつければ卒業できていた。2留したがこの間で取得した単位は卒業論文の単位のみである。
 …なんか偉そうに書いているが、全く偉くもなんともないなこれ。結局必要単位数ジャストしか取ってないし(興味のない講義の単位取っても何も面白くなかったという理由もあるが)、留年したのには変わりないし。自分で書いてて悲しくなってきた…。

 脱線したので元に戻す。この「価値の一元性」への疑問は、僕の人生の様々な場面や、高校の倫理や現代文といった授業の中で徐々に形成されたものである。そのため講義に関しては大学に入るまでの知識でなんとかなってしまった部分も多く、単位を取るだけなら勉強せずともどうとでもなった(レポートの質などはクソだったので、そこらへんは先生方のご厚意によるものだが)。単位が足りなかったのは文武を両道できなかった己の未熟さと諸事情ゆえです。お察しください。
 そうして過ごす内に「自分がやりたいことは、少なくとも大学でやれることじゃないのかもなぁ。だったらテキトーにお金稼いで、気になる本でも読んで勉強していけばいいかなぁ」と考えるようになった。僕が一時期就活をしていた理由はこれである。
 しかし以前も書いた通り、僕は就活をやめて研究の道に進むことに決めた。「金なら、死なない程度にあればいい。それより勉強の方にもっと時間を割きたい」と思ったからだ。しかし、進路を決めたはいいが何をすればよいのかは分からない。そこでとりあえず教官に進学や研究について諸々の相談してみることにした。
 その中で「それならこういう方面はどう?」「この本とかオススメかな」とアドバイスを頂いた。そしてそれらの本を読んでみた結果、まさに目から鱗が落ちた気がした。「こんな分野があったのか。こういうの考えててもやっぱりいいんだ」と思えた。まともなのは自分以外の人間で、自分はどこかで頭がおかしくなり、「変な」ことを考えてしまうようになったんだと思っていた。だが、「変な」人はこれまでも、そして現在でも意外と沢山いたのだった。

 それからは勉強した。大学に入るまでに習うことも含め、また一からやり直す気持ちで取り組んだ。その全てが有益だったとは言い難い。僕の疑問が「価値の一元性」批判にあると分かるまで、言ってしまえば去年1年間は無駄だったとも言える。僕の中心的な問いは「善さとは何か」という非常に漠然とした問いである。この問いをより細かく分けて考えていくと、「何をもって『〜〜は善い』と言えるのか」「『〜〜は善い』と発言することで、我々は何をしようとしているのか」「善はどのように定義できる(あるいはできない)のか」「善とは本当に我々が求めるに値するものなのか」「実際に為された行為における善と、意志における善のどちらが優れているのか」などといったように、より具体的で細分化された問いになっていく。こうした作業の中で、自分が一番研究したいこととは違った方向に進んでいたのが去年だった。
 だが去年勉強したことがあるからこそ、これからどのように、何を勉強していくのがいいか分かってきたのも確かである。そんなわけで、今はまた去年とは異なる分野に取り組んでいる。カッコよく言うなら、これこそ「失敗は成功のもと」ってやつだ。…カッコついてねぇな。

 まとめると、僕は大学の講義にあまり興味を持てず、研究どころか勉強もロクにしなかった。しかし自分の疑問に正直になってみた結果、自分が勉強不足ゆえに勉強を軽視していたこと、まだまだ勉強できる余地が十分すぎるほどあること、そしてそれがいわゆる研究というやつらしいことが分かった。これをやらない手はない。
 仮にどこかの企業に就職していたとしても、僕は絶対にこの「価値の一元性への問い」を考えずにはいられない。そしていずれにせよ勉学の道に進んでいただろう。今まで色々なことをやってきたけれど、この疑問だけは頭を離れなかった。どうせ他の生き方を選んだところで、この問いからは逃げられない。それならもう自分の人生全賭けしてでも、やってやればいいじゃないか。たとえ賭けに負けたとしても、やって負けたなら諦めもつく。その時はその時でなんとか生きていくだろう。

 最後にある曲の歌詞を一部引用して終わる。やっぱり音楽っていいですよね。歌手は、もはやラッパーの枠を飛び越え一流のアーティストである、KREVA。曲は『居場所』である。

“無駄なことはない それは嘘だね
ただぼっと眺める時間を減らせ
その手動かせ 黙ることはできないんだろう
壁を動かせ 守るだけじゃ増えない居場所”
ヘイー♪

https://www.youtube.com/watch?v=3Ac82nTf8Zg

「みんな大変なんだよ」と人は言うけれども

以前、とある人のツイートを見て思ったことがこの記事の発端だが、それと同様のことを僕も前から思っていた。それを今回はつらつら書いていこうと思う。
 それは2011年の震災の時である。地震津波による被害は、僕の家や住んでいた地域では少なかった。もちろん地震による家具や食器の倒壊や道路の陥没、停電や断水といった被害はあった。しかし、それよりも問題となったのが、遠く隔ったはずの場所から飛んできた放射性物質である。
 放射性物質により、僕は故郷を一時的にではあるが失った。生まれ育った家にも帰ることはなくなった。…このように書くと、この状況をかなり悲観しているように思われる。確かに悲しいのは悲しいのだが、所詮「そう遠くない将来の、いつか」は出て行く場所だ。その「いつか」が思っていたよりも唐突に、早く訪れただけの話である。それに現在では帰ろうと思えば帰ることだってできる。その道を僕は選ばないだけである。——そう頭で理解・納得してはいても、たまに村の畦道や竹林、中学校の校舎やその近辺を思い出さないこともない。

 ともあれ、僕は故郷を離れざるを得なくなった。その際のことを僕は恐らく生涯忘れないだろう。「あの村から来たんですか?」という言葉と、警戒心を宿した瞳。「悪いけど、君の住んでいたところはもう人の住む場所じゃないよ」という「暖かい」「励まし」の言葉。僕と弟だけが親戚の家に避難する際の(結果的に一時的なものだったとはいえ)、今生の別れであるかのような両親の表情。今でも鮮明に思い出せる。思い出さざるを得なくなった。
 震災後には色々とインタビューのようなものも受けた。そのほとんどで為される「今どのようなお気持ちですか?」という質問に、僕は「特に何とも言えない」というような、曖昧な返答を繰り返していた。今思い返してもあの頃は特別落ち込んだり、悲しんだりしていなかったように思う(周りからどう見えていたかは分からないが)。一変した生活や環境を受け入れ順応するのに必死で、落ち込む余裕もなかったのかもしれない。ただ心のどこかに、「同情なんかされてなるものか、お前たちに俺の何が分かるというんだ」という反発もあった気もする。
 変わってしまった生活に徐々に慣れていく、慣れていかなければいけない中で、「みんな大変なんだよ、だから君も頑張らなきゃ」といった言葉をかけられることも増えた。そのときに僕の中の何かが弾け飛んだ。
 「みんな」って誰だよ。震災や原発の被害にあった奴らか? それともなんの関係もない場所でのほほんと暮らしてる奴らか?
お前は自分の故郷を否定されたことがあるのか? 「あの村から避難してきた」という理由だけでアパートを貸し渋られた経験は? 何の咎もなく避難せざるを得なかっただけなのに、避難先でいじめられた奴らの苦しみをお前は知っているのか? 避難したら避難したで「被害者面しやがって」と言われたことはあるか? お前は俺たちの一体何を知っているんだ。お前らは何も知らない、知ろうともしないくせに、勝手に俺たちの大変さを決めてんじゃねえよ。

 …そう言いたかったが、言ったところで何も状況は変わらないことは分かっていた。そのため、ただ口角を少し上げて、目を細め、目尻をやや下げながら「そうですよね」と返すことしかできなかった。

 震災からおよそ9年が経った。それが早いのか遅いのかは分からない。僕の周りには僕以外にも、震災によって不可逆の変化を被った人が数多くいる。それぞれに、それぞれの大変さがあった9年だったろう。お疲れさまでした、本当に。
 今では「みんな大変なんだよ」論に当時ほど激しい怒りを抱くことはなくなった。ただあの怒りとは別の角度から何らかの違和感を感じてはいる。
 そのひとつが、「みんな」とは誰か、という話だ。これは当時も感じていたことだが、あの頃よりはマシになった。ただ、この「みんな」に関して思うことは、「あなたの言う「みんな』とは、つまり『あなた』のことではないですか?」ということ。他人を自分にとって都合のいい理由に使っているのではないか、というネガティブな懐疑の念を、この言説を目にする度に抱かずにはいられない。
 もうひとつが、「みんな大変なんだよ」という言葉が意味するところである。この言葉は一般に「みんな大変だから、あなたも頑張りなさいね」という意味で用いられるように思う。だが僕はこの言葉を、「みんな大変だよなぁ、まあ大変だけど、お互い上手くやって行こうぜ」という意味で捉えたい。こちらは前者と比べて幾分ポジティブな違和感、と言えるだろう。「使いたい」ではなく「捉えたい」である理由は、恐らく僕は「みんな大変なんだよ」という言葉をほぼ使わないと思われるからだ。
 誰しも大変な思いをしていることなんて、今更言うまでもないことである。そんなこと言わなくたって、みんな頑張っていることはすでに分かっている。更に言えば、「みんな大変なんだよ」と言ったところで、僕が「みんな」の大変さをどれほど理解できているのかは甚だ疑問である。
 他人が僕の怒りを究極的には理解できなかったように、僕も他の誰かの気持ちを理解するのは、究極的には不可能のだ。なので、この言葉を僕はあまり使いたくない。容易に使えば他人を傷つけることになるからだ。それは僕の本意ではない。ただ、この言葉を言われることは今後もあると思うので、その時にはそのように捉えたい、と考えている。
 「みんな大変なんだよ」という言葉の裏には「自分を労って欲しい気持ちが隠れている、とも言えるかもしれない。それならそれで別によい。労ってほしいのなら労ってやる。ただ、労ってもらってるばかりではあなたは変わらない、ずっと大変なままだ、とだけ言っておく。現状から変わりたい・現状を変えたいのなら、まずはその内向きな視線を少しでも外に向けるべきだ。甘えるなとは言いたいのではない。自分自身も含めて、他人のことももう少し甘やかしてあげたらどうだ、という話だ。

おまけ
 僕はひとつのブログ記事に色々な話題を詰め込みすぎる癖がある。昔はもっと日記感覚でつらつら書いてたのになぁ。なので長くもなるし、話題も一貫性を欠いて「結局何が言いたいのか」がわかりづらくなりそうにも思える。まあそのうちなんとかなるでしょう。
 あと真面目な話ばっかりでつまらん。なので今後はもうちょっとしょうもないことも記事にしていきたい。ゲームとか。歌詞貼りなんかも復活するかも(昔は大丈夫だったけど、今は著作権とか大丈夫なんですかね…)。
 そんなことを考えてる最近です。おわり。

「お笑い」の追記

 以前、お笑いを否定するようなことを書いてきたが、僕自身はお笑いが大好きである。特に漫才が好きだ。コンビやトリオだからこそ成り立つ掛け合い、絶妙なタイミングで、かつ的確に繰り出されるツッコミ、そして観客すらもツッコミを入れてしまいたくなるボケ。観ていて本当に面白く、楽しい気分にさせてくれる。そんなお笑いが僕は好きだ。
 芸能事務所が裏社会とつながりを持っていようと、僕は構わない。ただ、裏社会は裏にあるからこそ、その役割を果たすことができる。以前はそういった方々の間では、「決して堅気の人間には手を出してはいけない」「堅気の人間の目の及ぶ範囲で事を為してはならない」という厳格なルールが存在した。そして、そうした社会が存在することを住民たちも認識し、暗黙の了解として受け入れていた。
 だが、僕らの過剰なまでの排他的姿勢、「この世の中に悪なるものは一切存在してはならない」という、最早限度すら見失い暴走を起こした「正義感」が、以前の騒動を大きくしたのではないだろうか。たしかに、彼らは合法・非合法問わずシノギのために動くかもしれない。その結果堅気の人間にまでその悪影響が及んでいることもまた事実だ。
 しかし、「持ちつ持たれつ」という言葉もある。裏社会と表社会は、文字通り「表裏一体」なのである。表があってこその裏、裏あってこその表である。どちらか一方を消し去ろうとすれば、もう一方も消え去ることは必定だろう。
 
 …そもそも、本当に「悪なるもの」は裏社会にしか存在しないのだろうか。もし、この「正義感」が表社会においても暴走を始めたとしたら、どうなるだろうか。ほら、周りを見れば、少しとも言わず見えてくるだろう。暴走した正義が跋扈する様を。

お笑い

 「誰も傷つけないお笑い」というのが、少し前に話題になっていた気がする。それがどういったものか詳しくは知らない。しかしおおよその見当はつく。これまでの「お笑い」といえば、とんねるずダウンタウンに代表されるような、ある種の暴力性や理不尽さを含むものだった。「誰も傷つけないお笑い」とは、そうした暴力性や理不尽さを排除した無菌性のお笑いのことを言うのだろう。
 誰かが蹴り飛ばされる、叩かれる、落とし穴に落ちる、ケツバットを食らう。こうしたものは(もちろんお笑いとして成り立っている、という前提のもとでだが)公認された暴力だった。そして僕たちは、それらを面白いと思い、笑っていた。

 この「誰も傷つけないお笑い」という言葉から思い出すことがある。お笑いコンビである「ピース」の又吉が書き、映画にもなった「火花」という小説である。僕は映画しか観ていないが、多々印象的な場面がある映画だった記憶がある。そうした印象に残る場面のひとつが、「俺たちお笑い芸人は、笑わせてるのか、笑われてるのか」と、作中のとあるコンビの一方が他方に問いかけるシーンだ。
 「誰も傷つけないお笑い」は、何も現今になってようやく生まれてきたものでもないだろう。これまでにもいくつもあっただろう。しかし、漫才に代表されるように、お笑いにはボケとツッコミがある。一方が行うボケに対して、他方がツッコミを入れる。このツッコミは言ってしまえば(非常に軽い程度であっても)暴力である。仮にツッコミが暴力でなかったとしても、「ボケ担当のボケを笑う」という僕らが為す行為それ自体も暴力と言えるのではなかろうか。
 例えば日常の中で、誰かがお笑いにおける「ボケ」に相当することをしたと考えよう。それを僕たちはおそらく笑うだろう。「何やってるんだw」と。「そうじゃないだろ笑」というように。このとき、たしかに笑いは生まれている。しかし、「ボケ」てしまった人はそのとき何を思うのだろうか。「あれ、なんかおかしいことしたかな」程度かもしれない。しかし場合によっては「なんで、自分は今笑われているんだろう」と思い、悩むかもしれない。この「ボケ」の発生から「ツッコミ」までの出来事を極度に先鋭化させたものが、過度な「いじり」、あるいは「いじめ」と言われるものではないだろうか。
 「笑わせてるのか、笑われてるのか」の問いに対して、又吉は(映画を観る限りでは)明確な答えを出していない。思うに、又吉でなくても答えを出すのは容易ではなかろう。お笑い芸人たちは、そして僕たちは、果たして笑わせているのか、それとも笑われているのか。この基準は非常に曖昧であり、明瞭に答えが出せる兆しは——少なくとも僕の目には——いまだ見えない。この線引きについては、僕たち自身が意識的にならざるを得ないだろう。今目の前にあるこの光景・状況は、果たして「お笑い」の範囲内に収まるものなのだろうか、と常に問い続けることが、お笑いをお笑い足らしめるはずだ。

 …しかし、そもそもそんなにはっきりと区別できるものなのか、という応答もある。そのような態度は、お笑いにおける白と黒をはっきりさせようとしすぎではないのか。
 …別に笑われていようが構わない。ただ、目の前の人が笑って、笑顔になって、少しでも幸福な気持ちになってくれればそれでいい。ただその笑顔こそが、自分の原動力なのだから。——そのような、「お笑い」に対する愛情を、以前の吉本の騒動で垣間見た気がする。お笑い芸人として活動していく中で様々なしがらみが、様々な人に纏わりついていったのだろう。だがその根本にあるものは、とても簡素で分かりやすいものなのかもしれない。

院試に落ちたりもしたけれど、私はげんきです。

きっと〜目にうつる〜全てのことは〜
第89回アカデミー賞を受賞した謎のハッピーターン型宇宙船に乗ったイカタコ知的生命体との交流を描いた映画こと「メッセージ」〜♪

ゆーとりますけども。皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕はこのようにしょうもないことを言うくらいには元気です。

 院試の結果を一応確認してきました。といっても成績開示には時間がかかるので、採点した教官とのやりとりにはなるのですが。予想していた通り、やはり足切りがあった外国語科目のドイツ語で落ちたようです。一応他の科目では合格点をくださったとのこと。
 なぜドイツ語だと予想できていたかと言うと、通常受験者はこの外国語科目で英語を選択して、余裕で足切りのラインを越えて無事合格するものです。しかし何をトチ狂ったのか僕は、そこでドイツ語を選択してしまったのです。そして文字通り爆死した次第であります。もう足の付け根あたりからバッサリやられましたね。まいったなこりゃ。
 これは僕の院試に関する情報不足が一番の原因でしょう。分からないことは人に聞く、周囲の人に頼る等を怠った僕の責任です。しかしこんなところに足切りがあるとは思わんやろ…。鶴の恩返しの鶴もビックリのトラップやでホンマに。
 ただ、ドイツ語以外で合格点をもらえていても、やはりもっと勉強すべきことがあるのは明白でした。その点は僕も教官も把握で納得済みです。やっぱりほぼ3年放置してたものを1年でカバーしようとしてたのは無理があったのかもしれんね…。
 なのでこの失敗を踏まえて、「外国語は英語を選択すること」「専門分野における“学部レベルの基本事項”は身につけること」「英語にももっと親しむこと」「なんでも自分でなんとかしようとせず、周りの人に助けを求めること」を今年は徹底します。特に最後のはず僕がずっと抱えている問題なので、うまくやっていきたいものです。
 加えて金銭面でもなんとか余裕をもたせたいですね。「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、やはり金銭的に追い詰められると視野が狭くなります。そうした視野の狭さが今回の失敗の一因でもあるでしょう。経済面・健康面などなど、諸々の余裕をもって事に当たっていきましょう、といったところです。

追記
 「そこまで勉強にこだわってないで、働いたらどうなんだ」という意見もあるでしょう。実際そんなことを言われたのも、1度や2度ではないですしおすし。この意見には「親にあまり迷惑をかけるな、自立しろ」という意味もあるのだろうと思われます。
 ですが心配は無用です。僕は自分のやりたいことをやるために、親からの支援はほぼ断っています(やっぱりお金が絡むと色々しがらみが出来ちゃうのでね)。そしてもし今後完全に支援を断たれたとしても、生活費や学費、全て自分で出したって構わないという心づもりでいます(いうて学費はたぶん免除してもらえる見込みが高いのでなんとかなる)。心づもりでなんとかなんのかいなと言われそうですが、健康な体とそれなりの心づもりがあれば、人間意外となんとかなるものです。
 就職よりも勉学を選ぶことに関しては、恐らくどうしようも無いです。僕はこれ以外に楽しく生きられそうな道を見つけられないのですから。以前は就活もしていましたが、就活における最も根本的な問題、つまり「何のために自分は働くのか」に対する僕の答えは、いくら考えても「勉強するための金が欲しいから」しか出てきませんでした(そこを捻り出すのが就活だろと言われたらその通りなのですが…)。それで「そんなまどろっこしいことやるくらいならもうさっさと勉学に励めばよくね?」と思い、就活はやめた、という経緯があります。
 安定した生活やステータス、愛する人との幸せな家庭よりも、僕はもっと自分の興味関心のあることを知りたいし考えたい。そのためならば他のことを二の次にするのは、犠牲だなんて全く思いません。所詮好きでやってることなのですから。
 こういうと変人アピールのように聞こえるかもしれません。しかし、人間ならば誰しも一回きりの人生で、一番大切にしたいものがあるはずです。それは裕福な生活や社会的なステータスだったり、幸福な家庭生活や仕事での成功だったりするでしょう。
 もちろん僕も、お金はたくさん欲しいですし、社会的ステータスだって得られるものなら得たい。可愛い彼女や綺麗な奥さんだって出来ることなら欲しい。でもそれよりも欲しいもの、やりたいことがある。それが僕の場合は研究だったという、ただそれだけの話です。
 皆さんもそれぞれ自分の求めるものがあるかと思います。こんなクソ同然の世の中ですが、自分なりの幸福に向かってみんなで幸せに生ききってやりましょう。おわり。

最近の僕のツイートについて

 最近僕のツイートは、自分の好きなことを語るものが多いが、他人へ向けたものも多い。なぜ他人に向けたものが多いのか。それは、これまで僕と付き合いがあった皆さんとは今後、接点が極端に——少なくともこれまでよりは確実に——減っていくだろう、という予感があるからだ。
 もちろん、会おうと思えば会えるだろう。互いの予定の調整次第ではそういったことは十分可能である。そういう意味での接点は十分ありうる。問題は心理的な接点の方だ。

 僕が今一番興味があって、これからもやり続けたいことは、ごく手短に言えば「既存道徳の批判と修正」である。この既存道徳とは、僕自身や皆さんを含めた、世の中の多くの人が受け入れているものでもある。それを少しでも変えていきたいと思っている。(なお、この僕らが今現在受け入れている既存の道徳と、僕が求める道徳の違いについては、また別の記事で書くのを予定している。そのためこの話題について興味のある方は、是非そちらも読んでいただきたい。)

 僕がやりたいことは既成の道徳観の変更であり、否定だ。そうした道徳観の否定を僕が行う中で、時には僕のやっていることに対して、疑問や反感を感じることもあるだろう。そしてその疑問や反感から、僕との心理的・物理的距離を置こうと思う人もいるだろう。
 そうした距離の開きが生まれてこないことを、僕は祈っている。しかし、もし生まれたとしても、それを縮めたいとは特に考えていない。できることなら距離が開かないようにしたいとは思っているが、だからといってそれを中心に行動するつもりはない。みんなのことはもちろん大好きだし大切だ。だがそれ以上に、僕の中にある道徳への疑問について、納得のいくまで考え抜いてなんらかの答えを出したいという気持ちを、僕はより大切にしたい。
 もちろん、そんな距離ができないことが一番望ましいことである。また距離が生まれたとしても、それがさらに後に縮まることも十分ありうる。だけど何がどうなるかなんて、そんなこと誰にも分からない。ラプラスの悪魔がどこにいるのか、そして僕らにその叡智を授けてくれるかどうかを、僕らは知り得ないのだ。

 距離が生まれることは、少なくとも僕の本意では全くない。しかし仮に距離が生まれてしまったとしても、僕はそれをしょうがないことだと受け入れる。申し訳ないが、とても大切な皆さんよりも、更に大切なものが僕にはある。その中で僕と皆さんは離れていってしまうかもしれない。そしてその距離は一度生まれたら最後、ずっと縮まらないかもしれない。
 それならば、その時が来る前に、伝えられることや伝いたいことがあるなら、今のうちに伝えておきたい。伝えておくべきだ。そう考えて、僕は自分の周りに居てくれる人や、かつて居てくれた人に向かってツイートしていたりする。

 僕は周囲の人々に本当に感謝している。僕はあなた方に対して、とても失礼な態度をとっていた。それは今でもあるかも知れない(なるべく気をつけてはいるが)。また態度以外にも、色んな迷惑を沢山かけてきた。大学で知り合えた方々はもちろんそうだし、高校までの友人たちにも不快な思いをさせてきた。
 それでも一緒にいてくれたことに、伝えられないぐらい感謝の気持ちがある。本当にありがとうございます。皆さんがいなければ、僕は絶対にどこかで死を選んでいました。それでも生きていようと思えたのは、皆さんが僕の近くに居てくれたからです。皆さんが僕の孤独を紛らわせてくれたおかげです。
 高校からの友人、大学の部活を通じて知り合えた諸先輩方や後輩たち、そして同期であり仲間である友人たち、あるいはネットで知り合えた方々へ。同じ言葉しか出てきませんが、本当に本当に感謝しています。

 これまでもそうでしたが、今後僕は僕のやりたいことに向かって、今まで以上にやっていきます。そのため、もう皆さんとの接点がなくなってしまうかも知れません。ですが、接点がなくなったとしても、僕は自分の向かう方向をきっと変えませんし、変えられません。
 しかし、たとえそうなったとしても、僕はいつまでも皆さんが大好きですし、ものすごく大切に思っています。こんな面倒くさい僕に付き合ってくれた、全ての人に感謝と愛情をもっています。これまで本当にありがとうございました。僕が嫌になったら、そのときは遠慮などしないでください。しかし願わくば、こんな僕ですが今後も変わらず付き合っていってくれると大変嬉しいです。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

鬼束ちひろを久しぶりに聴いてみて

 宇多田ヒカルが生み出す作品群の根源的テーマが「孤独と愛」ならば、鬼束ちひろのそれは「存在の不確証性」と言えるだろう。と言っても、この2つのテーマはそれほど隔たったものではない。両者の始まりと行き着く先は同じである。ただその道程は非常に異なっている。

 鬼束ちひろの根底には、自己の存在の不確かさがある。自分という存在がこの世界に確かに存在している、という確証が持てない。それは彼女の繊細かつ鋭敏すぎる感受性が、世界の醜さを嫌というほど感じ取ってしまうからかもしれない。あるいは、自己と世界の間にある断絶があまりにも大きいために、世界から疎外されているような感覚に陥ってしまうからかもしれない。いずれにせよ、自己と世界があまりにも異質であるために、彼女は「どこにも居場所なんてない」と、悲痛な歌を歌う。

 だが自己と世界の断絶を埋めうる存在を彼女は見つける。それは他者である。他者は自己とはあらゆる面で異なっている。物質的にも、心理や意識といった精神的な側面でも、己とは異質な存在である。
 しかしそんな他者であっても、理解し合える点がある。互いに異なる存在であり、両者には隔たりがあったとしても、それらを繋ぐものがある、ということが分かる。それは愛かもしれないし、友情かもしれない。恐らく明確な名前で同定できるようなものではない。しかしその自己と他者を繋ぐものは、たとえ歪な形をした「貴方の手作り」であっても、確かに自分へと向けられたものである。このような繋がりによって自己と他者、ひいては自己と世界の間のあると感じられた隔絶を乗り越えることができる。

 しかしそれではまだ十分とは言えない。自己たる「私」の存在を確証することはできた。だが、「貴方」である他者はどうか。「私」が抱えていたように、「貴方」もまたこの世界における自分の存在を疑いたくなってしまう、あるいは疑わざるを得ないときが来るかもしれない。
 自己の存在の不確証性が苦しいことを「私」は知っている。そんなときに「私」には何ができるのか。「貴方」は何も問題などないかのような素振りを見せていたとしても、本当に「分かり合えているかどうかの答えはたぶんどこにもない」。いくら大切で身近な存在だとしても、結局他者は他者でしかない。相手の考えを完全に把握しきる術を我々は今まで持たなかったし、恐らく今後も持ち得ないだろう。
 だからといってそこで問題を投げ捨てるわけにもいかない。大切な「貴方」だからこそ、「私」が感じていたような息苦しさ、生き苦しさを抱えさせたままにはしておけない。では「私」には何ができるのか。
 それはせいぜい、「身体を寄せ合うだけ」だろう。他者が考えていることを十全には、我々は捉えられない。ならばせめて、触れ合うことで互いの物質的な存在の確かさを確認したい、してもらいたい。お互いの温もりを感じ合うことで、確かに「貴方」はここにいると伝えたい、確かに自分はここにいるんだと思ってもらいたい。自分一人だけではなく、異質な他人との関わりによって、「私」も「貴方」も確かにこの世界の中に存在している。それを確信して、安心してもらいたい。

 以上が「月光」「流星群」「私とワルツを」の3つ、つまりドラマ「TRICK」の主題歌に用いられた楽曲群を聴いて感じたことだ。正直、鬼束ちひろの曲でマトモに聴いたのはこの3曲だけである。他の曲を聴くと、また違った理解を得られたり、解釈ができるかもしれない。それを楽しみに、上の3つ以外の曲も聴き漁っていこうと思う次第である。